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2006年08月01日

ラスベガス旅行特集4

2回目のラスベガス旅行の続きを書きます。

ラスベガスに行ったときは大抵、チャールストン通りから少し入った所にあるギャンブラーズ・ブック・クラブ(ショップ)に立ち寄ります。↓

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店内風景↓

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この店でも売っているブラックジャックの雑誌として、「Blackjack Confidential」というのがあります。↓

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余談ですが、この号には、たまたま「アラジン」のオープン・セレモニーの記事があり、上掲画像のように、日本でも放映された懐かしいテレビドラマ「かわいい魔女ジニー」のバーバラ・イーデンさんがゲストで参加し、お得意のポーズを決めておられます。60歳を過ぎておられたようですが、その題名のごとく、いつまでもとっても「かわいい」方ですね。

ところで、さらに蛇足ですが、当時、アラジンの脇の並びには、ジャズクラブとして有名な「ブルーノート」があり、パット・メセニーなど大物ミュージシャンの出演もあったようです。でも私が入った日は、大物の出演は無く、ラテンジャズとかを演奏していて、店内は10人くらいしか客がおらず、私は独りカウンターでバーボンのロックなど飲みながら、適当に時間を潰していたという次第でした。

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※ちなみに、上のブルーノートの画像を拡大していただくと、ロバータ・フラックの出演が予告されているのが確認できます。

あと、蛇足ついでに申しますと、私は、マラソンの高橋尚子さんのオリンピック優勝のシーンを、ラスベガスのダウンタウンのアンバサダーイースト・モーターインのテレビで観ていました。リディア・シモン選手がすぐ後ろから迫ってきているのが確認できます。↓(ちなみに、このラスベガスでマラソン放送を観るという行為は、私がラスベガス旅行で標榜していた「貧者のラスベガス」「ラスベガス辺境の思想」「非日常性の中の日常性」の内の「非日常性の中の日常性」に合致することを申し添えておきたいと思います。)

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さて、相変わらず、余談が長くなってしまう癖があるのですが、実は、この2回目のラスベガス滞在中に、上掲「Blackjack Confidential」誌を読んでいて、チェスの大会がリノであることを知り、リノでもブラックジャックはできるし、シングルデックが多くて条件的にも良いので、行くことにしました。今回のラスベガスの宿バジェット・スイートの予約をする際お世話になったIACEトラベル・ラスベガス営業所の加藤海道さんに、航空券を取ってもらい、宿は応急処置として、とりあえず、イージー8モーテルに自分で電話して予約を入れました。 

次回に続く

posted by frugal gambler at 06:20| Comment(0) | TrackBack(0) | My Gamble History | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年05月06日

ラスベガス旅行特集3

まず最初に、前回のラスベガス旅行特集2において「貧者のラスベガス」というフレーズを使いましたが、これは最近流行の「自虐ネタ」という側面もありますが、実は、「賢者のラスベガス」をもじったという部分もあることは、今回初めて明かす裏ネタです。いや、それだけのことなんですが・・・。

賢者のラスベガス

このサイトは、たしか以前は、名称こそ違え、ニフティーのコンテンツとして存在していましたが、Puntoさんが担当を降りられ、さらにニフティーのラスベガス・フォーラム自体が終了し、その後、改めて別途復活したサイトです。私の想像では、おそらくこのサイト、Puntoさんが再開されて運営されているものと思います。このサイトの当時からの決まり文句として、「プレイヤーズクラブに入会せずして、ビデオポーカーを一銭たりとも打ってはならない!」とかいうのがありました。この言葉は、現在の私のサイト「クレイジーポーカー」に当てはめてみると、さしづめ「ボーナスをもらうことなしに、ポーカーを一銭たりとも打ってはならない!」となるかと存じます。ともかく「賢者のラスベガス」は、ラスベガスでシリアスにVPを打とうという方にとって、マストリードのサイトかと思います。

さて、「貧者のラスベガス」の御旗の下、私の2回目のラスベガス旅行が始まりました。1回目の旅行で土地勘が付いたこともあり、今回は、前もって安宿を予約して行こうと思いました。私は当時まだパソコンを持っていなかったので、電話やファックスでIACEトラベルのラスベガス営業所と連絡をとり、当時の営業マンの加藤海道さんに「スターダストホテルの裏手にバジェット・スイートというのがあるのだけど、ストリップから歩いて行けますかねー?」と尋ねると、親切にも「後で見てきてお伝えします」とのこと。結局充分歩いて行けることがわかり、当然ながら若干手数料をお支払いして、加藤さんに予約を入れてもらいました。

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今回は一人旅なのですが、少し慣れたこともあり、前回空港から若干大回りをされたので(運転手さんに悪気はなかったと思います。前回のサーカスサーカスなら、あのフリーウェイ回りの方法が、むしろ定番かもしれません)、「パラダイスロードを通って行ってください」とお願いしました。パラダイスロードは、ストリップの脇を走る道路であり、やはり空(す)いていたので、前回のサーカスサーカスとほぼ同じ地域にある今回のバジェット・スイートに行くにも、時間的にも距離的にも有利に行くことができました。

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今回も前回に引き続き、ブラックジャックをやるのが目的でした。前回もそうでしたが、BJの好条件のテーブルを求めて動き回ると、けっこうラスベガスの中心部から離れたカジノにも行くこととなります(このことが、後に私が、「ラスベガス辺境の思想」と称してラスベガス大全フォーラムで展開した文章群の礎になりました)。例えば、ノース・ラスベガスのランチョ・ドライブ沿いにあるサンタフェやフィエスタやテキサス・ステーションなどのカジノ、前回は友人とタクシーで行ったこれらのカジノも、今回は一人ということもあり、定期券を購入してバスで回りました。出費がまるで違います。

また、前回は、宿泊地のノース・ストリップから遥か東に位置するボウルダー・ステーションにタクシーで行くときに、デザートイン・ロードを使えば一直線なのに、運転手任せにしたばかりに、フリーウェイを北からぐるっと大回りされた経験もあったので、今回は、ボウルダー・ステーションへは、バスでデザートインロードを通って行きました。超安上がりです。

キャットバス.JPG ←クリックで拡大されます。

このボウルダー・ステーション(私は、このカジノの正面から入ってすぐのスロット・マシンが置いてある板張りのフロアの雰囲気が大好きでした)に行った時は、雨が降っていて、BJを終えてカジノから出てみると、大変な大雨になっていました。私はバス停まで歩くのを諦め、タクシーで同じボウルダー・ハイウェイ沿いの、これまた私の大好きなカジノであるサムズ・タウンに行くことにしました。ボウルダー・ハイウェイは水浸しで、タイヤが半分くらい水に浸かっていて、普段の4〜5倍の時間がかかりました。運転手さんは、比較的無口なタイプでしたが、私は、ほとんど通じない英語でドンドン話しかけていました。大雨の話題のとき、無口な運転手さんが一言「クレイジー!」と叫んだのが、大雨がクレイジーなのか、私の下手な英語がクレイジーなのか区別がつかないほどでした。今、「クレイジーポーカー」なんてブログを運営しているところをみると、やはり私がクレイジーだったのかもしれません。でも、この時の雨は、なんでも15年ぶりの大雨で、テレビでも長時間に渡って報道されていたことも事実です。

ボウルダーハイウェイ.JPG ←クリックで拡大されます。

さて、私は、この旅行の途中で宿泊場所をノース・ストリップのバジェット・スイートからダウンタウンに移しました。その際に、後に私がラスベガスのテーマとして標榜する「貧者のラスベガス」と「ラスベガス辺境の思想」を同時に満たす行動を取りました。それは、夜中のモーテル探しでした。ダウンタウンのフリーモント・ストリートは、フリーモント・エクスペリエンスで有名な電飾アーケードから始まり、東にずっと伸びており、それはボウルダー・ハイウェイに連なります。この通りは、かなりの数のモーテルが続いています。私は、夜暗くなってから、これらのモーテル群を歩いて一軒一軒訪ね、料金を聴いて回りました。そうこうしているうちに、フリーモント・ストリートは終わり、私は、いつの間にかボウルダー・ハイウェイを歩いていて、ショーボート(後のキャスタウェイ)に着いてしまいました。このカジノで少し休憩して、流石に帰りはバスを使って宿に戻りました。しかし、治安の悪いと言われるダウンタウンの東地区を夜中に歩き回ったのですから、これぞクレイジー、酔狂ここに極まれり、と言わざるを得ません。

ウエスタン.JPG アンバサダーイースト1.JPG ←クリックで拡大されます。

ダウンタウンのモーテルには、何軒か泊まりました。ウエスタン、アンバサダー・イースト・モーターイン、バジェット・イン、ゴールド・スパイクなどの安宿です。一泊$20前後でした。

バジェットイン.JPG ゴールドスパイク1.JPG ←クリックで拡大されます。

さて、旅行中は、いろいろなカジノに行きました。上記安宿のウエスタンに宿泊中、ノース・ラスベガスのラスベガス・ブルバード沿いのオペラ・ハウスというカジノでブラックジャック・トーナメントがあるというので、フロントで行き方を尋ねたところ、英語が上手く通じず、いつもウエスタン・カジノに入り浸っているという初老の日本人女性を呼んできてくれました。話してみると、彼女は、20代の若いころにラスベガスに移り住み、今は余生を、ウエスタンのような低レートのカジノなどで過ごしているとのこと。なんと過去には、このウエスタン・カジノで収益金を数える仕事もしていたとのこと。もちろん彼女は、ここのホテルオーナーであるジャッキー・ゴーハンの若き頃も知っており、歳をとった最近では、彼はときどきカジノを訪れ、灰皿の掃除をしている、という裏話も聞きました。私は、オーナーなのに、灰皿拭きとは立派な方だと痛く感激し、その後この件については、ラスベガス大全のフォーラムなどに投稿したこともありました。ちなみに、このように観光地であるラスベガスで、現地日本人と遭遇し世間話をするというのは、後に私が標榜した「非日常性の中の日常性」というテーマに合致することを申し添えておきたいと思います。

長くなってきましたので、2回目のラスベガス旅行の記事の途中ですが、残りは、また後日に委ねたいと思います。お楽しみに。
posted by frugal gambler at 16:53| Comment(0) | TrackBack(0) | My Gamble History | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月22日

ラスベガス旅行特集2

さてさて、初めてのラスベガス旅行、行く前にいろいろ調べたところ、ノース・ストリップ界隈の宿が比較的安いので、IACEトラベルで航空券手配方々、サーカス・サーカス・ホテルに一泊だけ予約を入れました。向かいのリビエラ・ホテルが第一希望だったのですが、取れなかったとのことで、サーカス・サーカスが、ラスベガスの最初の宿となりました。

サーカスサーカスホテル.jpg

空港に着くと、ラスベガス初心者よろしく、何も考えずにタクシーで、フリーウェイ回りでホテルに直行しました。サーカスサーカスの位置なら、タクシーを使う以上、このルートで問題ないかと存じます。パラダイスロードを通って行く手もあるかとは思いますが、当時は、すべて運転手さん任せでした。西側のフリーウェイ上から、夕日に照らされるストリップのホテル群を初めて眺め、気分はもうウキウキといった状態でした。

サーカス・サーカス・ホテルの部屋に荷物を置き、友人と共に、まずは、明日以降泊まる安宿を探しに出ました。ラスベガス大全のフォーラムでも、何度か書きましたが、私は、後に、「貧者のラスベガス」「ラスベガス辺境の思想」「非日常性の中の日常性」などをラスベガス旅行のテーマとして標榜していました。その中の「貧者のラスベガス」に該当する行為の一つが、この安宿探しで、その後のラスベガス旅行においても、また、リノに行った折も、半日以上かけて探し回るのが常でした。frugalな性質は、当時から健在だったということでしょうか。

友人はスニーカーでしたが、私はラスベガス初心者丸出しで、革靴を履いて歩き回ったので、足が痛くなって、途中で運動靴を購入いたしました。そして、何軒も探し歩いた結果、翌日からは、コンベンション・センター通り沿いのロイヤル・ホテルという知る人ぞ知るマイナーなホテルに泊まることにしました。その後も、2〜3の安宿に鞍替えしましたが、詳細は省略させていただきます。

さて、今回の旅行は、もちろんブラックジャックが目的です。すでに、カウンティングは、ソウルのウォーカーヒルで実践済みでしたが、ラスベガスでは、シングルデック、ダブルデックのハンドヘルドに限定してプレーすることにしていたので、初めてのハンドヘルドに対応できるかどうか実験するため、かねてより最初にプレーすることに決めていた、まあまあのテーブル条件のオーリンズに赴きました。実は、ハンドヘルドのほうが、むしろ余裕を持ってカウントできるので、実験は難なくクリアし、その後、約2週間、友人と一緒に、あるいは別行動で、あちこちのカジノを徘徊することになりました。このことが、後に「ラスベガス辺境の思想」を標榜する端緒になったのではないかと思います。

オーリンスホテル.jpg

ブラックジャックでも、1箇所滞在型で、まんまとルームコンプをせしめている人も居るようですが、カウンティングは、カジノに見つかると追い出されるので、同じ場所で長時間プレーしないほうが安全ということで、私は、基本的に1〜2時間程度でカジノを渡り歩く方法を採りました。「Current BJ News」で十分調べてあったので、テーブル条件の良いカジノを、なるべく効率よく回るようにしました。

下にリンクした表は、この第1回目のラスベガス旅行だけではなく、その後のラスベガス旅行及び、チェスの大会に出場方々リノにも立ち寄った時のプレーも含めた、ブラックジャックの全成績です。いかにも、frugalな戦いに終始してしまい、旅費も出ない冴えない時給になってしまいましたが、参考までにご覧ください。ちなみに、この表は、今は無きニフティーのラスベガス・フォーラムと、後にラスベガス大全フォーラムにも投稿したものです。

20世紀BJ総括.txt
posted by frugal gambler at 20:03| Comment(0) | TrackBack(0) | My Gamble History | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月16日

ブログ1周年記念、ラスベガス旅行特集

4月16日は、暦の上では、私の誕生日とやらであることと、ブログ1周年でもありますので、セレブレーションということで、何回かに分けて、ラスベガス旅行特集を組みたいと存じます。

ラスベガス旅行/準備編

私がラスベガスに初めて訪れたのは、1999年の4の月だったかと記憶しております。ラスベガスに行こうと思い立ったそもそもの理由は、ひとえに、今はレア本となりアマゾンでもプレミアムの付いている書籍、「ブラックジャック必勝法」(斎藤隆浩著)と「カジノ・ブラックジャック必勝法」(川上二郎著)の2冊を読んだからでありました。

本を読んだ後、一度ソウルのウォーカーヒルで試したことはありましたが、6デックであったことと、ハンドヘルドではなかったので、超速で配るディーラーに当たったりすると、カウントできなくなることがしばしばあったことなど、あまりよい条件ではなかったので、本場ラスベガスへ行くことにしたのでした。

私は、念には念をと、これらの本のカウンティングシステム(ハイ・オプトT)の土台となった原著「The World's Greatest Blackjack Book」(Lance Humble,Carl Cooper共著)と、全米の各カジノの毎月のブラックジャック・テーブル条件を網羅したStanford Wongの「Current Blackjack News」を取り寄せ、綿密な計画を練りました。もちろん、カウンティングの練習もしましたし、一緒に行くことになった学生時代の友人と山中湖だか河口湖だかの安宿で2泊ほど泊りがけで合宿もしました。

ブラックジャックの本.JPG ←画像クリックで拡大します。

また私は、後にKOカウントというシステムに切り替えましたが、当初のハイオプトTのシステムでは、ランニングカウントをトゥルーカウントに変換しなければならず、いちいち割り算をしているとカウントがおろそかになるので、独自にある表を作り、割り算をするのではなく、表の記憶によってカウントの変換をすることができるよう工夫しました。大したことでもないのですが、これは私のオリジナルとして自負するものであります。

ところで、この時点では、私は、吠太郎さんのホームページにも出会っておらず、KOカウントも知らなければ、SD(Standard deviation)などの概念もありませんでした。特にSDなどの統計的概念は、ブラックジャックの良書であった上掲2著では、ほとんど触れられていなかった概念で、今でも、これらの概念は、私がギャンブルゲームを安全かつ有意に行なう上で、最重要基本事項となっています。

私は統計学には全く不案内ですが、これらの統計学的概念こそ、ギャンブルゲームを行なう上での最も肝心な点であると思いますので、もう少し述べてみたいと思います。

まず、ゲームの選択において、技術を向上させれば理論的に勝てるゲームかどうかというのは、最低限の基本事項です。そこを踏み外していれば、それは、「いわゆるギャンブル」であり論外です。正しいゲームの選択ができたら、次に技術を向上させることが必要です。十分な技術をもってすれば、勝てるギャンブルゲームは、幾つかあります。

さて、これで、ギャンブルで金儲けができるかというと、必ずしもそうならないのが現実です。おおよそ勝てるギャンブルゲームの理論値として、儲けのパーセンテージは、極めて小さいのが普通です。そもそも大いなる自然の恵みから利益を得てきた人間ですが、人間社会の経済においては、自然から搾取させていただいた分だけ、おかげさまでプラスサムなわけです。しかし、ギャンブルという、いわば閉じたマネーゲームでは、ゼロサムであり、プレーヤー側からすれば、胴元の利益分だけマイナスサムなわけです。そんな中で、どんなに秘術を尽くしたとしても大きなパーセンテージの利幅を稼げるはずもなく、僅かな有利さを現実のものとするためには、いろいろ検討すべき点があるわけです。

要するに、どのくらいの期間プレーすれば、たまたま運が悪かったとしてもプラスに持っていけるのか、そのプラス分は、期間中の交通費や食費や宿代などを賄ってあまりあるものか。そうなるためには、どのくらいの投資をすればよいのか、その投資のためには、どのくらいの資金を必要とするのか。これらのことを念頭においてギャンブルゲームをしなければ、それは、「いわゆるギャンブル」になってしまうわけです。私が、そのあたりのことを良く理解できたのは、ここ数年のことですから、世の中には、まだまだ、そのあたりのことを理解せずにギャンブルゲームに勤しんでいる方も多いのではないかと存じます。

ギャンブルをすること自体が楽しみという方は別として、楽しいことなら他に幾らでもあると思われている方でギャンブルでも儲けたい方、あるいは、他に大した楽しみもなくギャンブルは儲かるからこそ楽しいのだと思われる方は、上記のような事柄を、漠然と理解しているというのではなく、体に沁み込ませて理解していることが必要ではないでしょうか。要するにギャンブルファイターとしての心性ではなく、ビジネスマンとしての心性が要求されるのだと思います。

ついつい、口上が長くなってしまいました。次回からは、楽しいラスベガス旅行記(ほんまかいな!)をお届けしたいと存じます。

※この下に、アマゾンの商品の紹介リンクがありますが、見れない場合は、インターネットセキュリティーをオフにしてみてください。

    
posted by frugal gambler at 04:05| Comment(8) | TrackBack(0) | My Gamble History | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年02月11日

ソウルにて

私は今から15年ほど前に、商品先物取引(綿糸・金・粗糖・小豆など)に何の戦略もなく、豆屋(業界用語で俗に「商品先物取引業者」の意)の薦めるままに手を出し、数百万円の損害を出したことがあります。何せ一時は、本業の営業をさぼって岡地の店頭に赴いて、その場で売り買いをしていたくらいですからお笑い種です。

その商品先物取引関係の本の中に、何故か、ワン・ツー・スリー・ウェイという方法でカジノのルーレットで勝った人の話が載っていました。今なら、これは悪名高きマーチンゲール方式の変形であることを即座に認識できるのですが、当時はそんなことは露ほども知らず、とても興味を持った私は、早速、当時靖国通り沿いにあったパンドラ・ルーレット教室という合法=アミューズメントの施設に出入りして、他の方々が普通にルーレットを楽しんでいる傍らで、来る日も来る日もワン・ツー・スリー・ウェイの戦略に従って赤や黒に駆け続けて実験していました。

必ずしも納得のいく結論が出たわけでもなかったのですが、一通りのシミュレーションを終えた私は、「いざカジノへ」とばかりに近場のソウルはウォーカーヒルに乗り込み、ワン・ツー・スリー・ウェイという方式の賭け方で、ルーレットの赤に賭け続け、運も良かったのか、数日で30万円ほどの儲けを得ることができました。(2回目のウォーカーヒル旅行では、上手く行かず、25万円くらい損をしています。ちなみに、3回目と4回目は、私の学生時代の友人と行き、モーテルなどの安宿を泊まり歩いたりして楽しみました。街の飲食店でビビンバなどを注文したときは、言葉が全く通じなくて閉口したことが印象に残っています。)

さて、1回目の30万円儲けた旅行では、最初から何かにつけツキがありました。この初めての韓国旅行、現地ガイドが付くとのことでしたが、何と私一人に対し一人の女性ガイドさんが付いたのでした。それもなかなかの美人の方でした。私は、ホテルまでの送迎と初日のお決まりの市内観光程度だと思っていたのですが、何故かこのガイドさん、「最後までお守りするのが私の当然の仕事です」とか言って、旅行期間中、私が外出するたびに付き添ってくれたのでした。もちろん、日本語はほぼペラペラです。

初日、仲良くお決まりの市内観光をした後、私は、「もうこれで貴女の今日の仕事は終わったということで、ここから先は遊びね」とか言って、食事に誘いました。言葉が通じない韓国料理の店では、彼女が代わりに注文してくれるので大助かりです。少しビールなど飲みましたが、彼女は全く飲めないらしく、一口飲んだだけで目が潤んできてフワーッとした何とも色っぽい感じになりました。この状況は、今になって思えば、かなりのチャンスのように思われますが、いかんせん私のこの旅行の目的は、一日目からカジノに入り浸って理論が成立するかどうかを実証することにありましたし、また、これまで据え膳を何度もアホみたいに逃してきた私の習性のせいか、それ以上アタックせずに、明洞あたりを二人で散歩した後、普通にウォーカーヒルホテルまで送ってもらって、ホテル地下にあるカジノへ直行してしまったのでした。

朴秀情1.jpg 朴秀情2.jpg   ←クリックすれば拡大されます

何日目かに、旅行メニューに入っていたのかどうかよく覚えてないのですが、いわゆるキーセンの居る場所に行くときも付き添ってくれました。私は、よくわからなかったのですが、何となく、この後、女を当てがわれるのだろうな、という予感はしていました。しかし、けっこう気に入っているガイドさんに連れられてキーセンハウスに行くというのも複雑な気持ちです。タクシーの中で、そのあたりのことを彼女に言ったら、「男の人がそういうことをするのは素敵だと思います」という意外な答えが返ってきました。まあ、そうこうしているうちに、キーセンハウスに到着しました。

まず、居心地の悪いようなヤケに広い座敷に通され、そこのママさんとチーママみたいな人に接待されながら、ビールだの酒だのを飲み、その後、種類豊富で食べきれないほどの韓定食が並びました。食事が一段落すると、チマチョゴリを着た6〜7人の女の子が入ってきて、ママさんは、その中から一人を選べと言うのです。私は、そもそも慣れない場所でやや緊張している上、チマチョゴリがあまり好きではなく、これという女の子も居ないので決めかねていると、今居る6〜7人を引っ込め、また別の6〜7人が入ってきました。ところが、またしても好みの女の子は居なくて困っていると、ママさんは、いったん女の子を全て引き上げさせたので、私は、「ママさんのほうがいいよー」なんてしょうもない本音を言ったりしましたが、ママさんは取り合わず、「悪いことは言わないから、次に入ってくる右から2番目の子にしなさいな」と耳打ちしました。次に入ってきたのは、そもそも一巡目の女の子たちだったので、やはり私は気が進まなかったのですが、ママさんの言うとおり、仕方なく右から2番目の子を指差して、めでたく今日の夜のお相手が決まりました。その後は、その決まった女の子を含め、飲んだり食ったりしました。ちょっと気になったので、「私を連れてきてくれたガイドさんはどうしたの?」とママさんに訊くと、「女の子が決まった時点で帰った」とのこと。少し寂しく思った私でした。

ちなみに、この美人ママさんとは、2回目の旅行のときに一夜を共にすることになったので、前後しますが、少しだけ触れておきます。2回目の旅行では、先ほど申しましたようにカジノで25万円くらい損をしたので、最後は適当に時間を潰そうと思い、前回のキーセンハウスに電話したら、ママさんがウォーカーヒルホテルまで迎えに来てくれました。車で店に向かうタクシーの中で、「私もたまには遊びたいから、私でよかったら」という願ってもない話。彼女は、「私は、これから店の女の子たちに給料を払わなきゃならないから、貴方は私の友達ということで、その間食事をしててもらって、頃を見計らって私の腹心の部下を貴方に付けるから、3人で店を出ましょう。」と手はずを整えました。なるほど、店の女の子たちの手前、信頼できる部下を当て馬にするというわけです。

そして、事は手はずどおり進み、店を出た後は、ママさんが他の人と共同経営しているというヤケにどどっ広いカラオケに行き、客の居ないガラガラの店で大して楽しくもないカラオケを一通り歌って、その後帰り際に、ママさんから「彼女に5千円くらい渡してやって」と耳打ちされ、その当て馬の彼女にチップを渡して別れ、ママさんと私は、ふたり手を繋いでタクシーで私の宿であるウォーカーヒルホテルへと向かったのでした。その後のことは、あまりにも野暮な話に属しますので、割愛させていただきます。

さて、話を戻して、1回目の旅行の私に当てがわれた女の子は、チマチョゴリを脱いで普通の服に着替えると、スタイルも良く、けっこう可愛く見えました。彼女とはホテルに戻る前に、彼女行きつけの店に連れて行かれ、面白くもない親子の曲芸みたいなのを見せられ、「可愛そうだからチップをあげて」と彼女が言うので、百円程度を出そうとすると、彼女は、「ダメ、こっち」と千円程度を指示するので、仕方なくそれを渡しました。私は、「あの親子、みんなからのチップで、あんなに稼げれば、全然可愛そうでもなんでもなく、ウハウハだろうな。あとで幾らかは、その店から私のお相手の女の子にバックされるんだろうな」と思いながらも、「郷に入れば郷に従え」で彼女の為すがままに従いました。今夜は、どうせ私の為すがままになるのですから。ウッシッシ。

この1回目の旅行の最後のほうで、私はカジノで30万円浮いている余裕もあって、ガイドさんの旅行会社経由で購入するウォーカーヒルホテルのショーのチケットをガイドさんの分も買ってあげて、一緒に観ることにしました。食事付きのショーなので、一人で観るのも寂しいものがあると思ったのと、本当に信じられないくらい尽くしてくれるガイドさんへのお礼のためでもありました。ショーが終わったあとのロビーで、私は「ちょっと部屋まで遊びに来ない?」と軽く誘ったのですが、彼女は首を横に振りました。彼女は、私と接するときは常に制服を着ていましたので、勤務中は客の部屋に入ってはいけないという決まりに自然に従ったのかもしれません。今になれば、彼女が完全にプライベートのときに会う約束をすれば、もしかしたら、さらなる進展があったのではと思ったりします。

彼女とは次の旅行でまた指名すればいいや、と軽く考えていたのが失敗でした。次の旅行では、ウソかホントか、旅行会社いわく、彼女はもう辞めたので、別のガイドを付けると。次のガイドさんもかなり親切にしてくれましたが、最初のガイドさんの時のような気持ちには全くなれませんでした。3回目、4回目の旅行でも、他のガイドさんに彼女のことを尋ねましたが、ガイドの数が多いのでわからないとのことでした。そのようにして、彼女との交流が絶たれて、はや十年以上が過ぎてしまいました。朴秀情(パク・スチョン)さん、私は、今でも貴女に会いたい。恋してます。

他人の色恋沙汰に関心のある殊勝なお方は、下記リンク先の過去の記事へもどうぞ。

http://crazypoker.seesaa.net/article/3571682.html
http://crazypoker2.seesaa.net/article/11953849.html
http://crazypoker2.seesaa.net/article/11953876.html
http://crazypoker2.seesaa.net/article/11953903.html




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2005年05月11日

フィクション2 新宿区役所通りまで徒歩10分

当時は、違法カジノが花盛り、ミラージ、シーザーズパレス、サーカス、インペリアルパレス、トロピカーナ、ハーレム、ドラゴン、コンコルドといったラスベガスさながらの光景が、区役所通り界隈に蔓延していました。私は、当時、歩いて10分のところに住んでいたため、連日のカジノ通いとなるのは、極めて自然の成り行きでした。

これらカジノは、表向きは、アミューズメントを装っていましたが、もちろん換金可能であり、また、風営法の時間を守っているような振りをしていましたが、表の入り口を閉めて、朝方まで営業していました。

しばしば、私服の警官が、周りを張っていました。一度、風体の悪い2人組み(笑)に呼び止められて、職務質問をされました。私は、今から換金に行くところで、ズボンのポケットには、チップが入っていましたので、ちょっと焦りましたが、何とか事なきを得、その日は換金を見合わせて、家路を急ぎました。

当時は、ブラックジャックを中心に、少しルーレットもやっていました。BJのベーシックストラテジーの存在に、やっと気づいた頃で、もちろんカウンティングなどは、全く知らない状況でした。数万円から十数万円、勝ったり負けたりの毎日でした。今考えてみると、ほとんど戦略的な意図もなく通っていたことに呆れるばかりです。もっとも、ただ飯、ただ酒を飲み食いすることと、毎日行われる抽選会に参加することだけは忘れませんでした。そして、なるべくプレーせずに、抽選会で当たったチップを換金して持ち帰ることを画策したりしていたことは、少しだけ賢かったと言えるかもしれません。とはいっても、結局のところ、ついつい長居をしてしまうわけですが。

毎日のように通ってきて、どこかのカジノに入り浸り、ブラックジャックばかりやっているご婦人が居ました。決して奮いつきたくなるような美人というわけでもなく、また若くもなく、30代半ばといった風情でしたが、わりと愛嬌のあるタイプでした。皆様も、決して特に美人でも可愛くもないけれども、一発で惹かれてしまうという経験がおありでしょう。私も、まさにそれでした。

毎日のように、独りどこかのカジノに現れ、紅一点でブラックジャックを和気藹々と楽しみ、たいてい朝まで時間をつぶしていく・・・、一体どこの誰なんだろうと、自分自身のことは棚に上げて、他人様を勝手に詮索したりしたものでした。

あるとき、私が初めて行った新設カジノで、彼女の隣の席に座りプレーした後、換金場所がわからなかったので、彼女に案内してもらったことがありました。2人とも換金を終えたところで、私は、「ちょっと飲みにいかない?」と誘ってみたのですが、彼女は「もう一軒行こうよ」と言いました。午前零時はとうに回っていましたが、彼女の意思は固く、もう一軒カジノに付き合うことになりました。

2軒目のカジノを終えて、一緒に店を出たのは、もう朝の5時を過ぎており、私は、ぐったり疲れてしまって、もはや誘う気力すらありませんでした。10分も歩けば、我が棲家に連れ込めるというのに、何という体たらくでしょう。タクシーに乗り込む彼女を見送って、私も家路に付いたというわけでした。また、次回でいいや、という気持ちもあったのでしょうが、その後は、もはや接近遭遇することもなく、そのまま時は過ぎ去ってしまいました。

もっとも、連れ込んでしまったという話では、ここに書くことはできないわけで、連れ込まなかったからこそ、こうして笑い話にできるわけではありますが、私の場合、これに似た話が山ほどあるので、いやんなっちゃいます。後になって後悔するような、据え膳食わぬは男の恥を何度も演じてきた私は、本当にボケです。あの時も、ああ、あの時も・・・。

チャンスは、今しかないのに、後で気づく能天気な自分に、いい加減呆れ果てます。機を見るに敏ならぬ機を見るに鈍そのものです。後の祭りを嘆いても、時は戻ってくれません。オー・マイ・マカロニ!! そんな叫びだけが、虚しく響き渡ります。
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2005年05月03日

フィクション1

あのころは、今にして思うと、周りにずいぶんギャンブル好きが集まっていたものです。私は、それまで、ギャンブルなんて、ほとんどやったことがなかったのですが、朱に交われば赤くなる、眠れる獅子が目を覚ましてしまったようです。

あるときは、パブでマスターからトランプを借りて、ドボンだのカブだのページワンだのを、マスターから「直接現金でやるのは、やめてね」とか言われながら、プレーしていました。その店には、何度通ったことか。

また、あるときは、ボーリング場。ワンピン500円のマッチです。しびれます。ワンゲームで、もし80ピンも差がつけば、4万円です。そうそう、他の営業マンから、「あいつら、仕事中にボーリングやってますよ」とチーフに言いつけられ、叱られたこともあったなあ。

いろいろやりました。ビリヤードのナインボール、ワンゲームで1000円、朝方まで必死こいてやって、結局「行って来い」だったりして、疲れ果てて、そのままサウナに直行。

ゲーム喫茶で、そこに置いてあるゲーム類はそっちのけで、持参のバックギャモンで、デキャンタで注文したワインを飲みながら、差しで朝までプレー。モーニングを食べて会社に直行、営業に出たら、カプセルホテルで昼過ぎまで寝る。

無茶苦茶やってましたね。あのころのギャンブル仲間は、今ごろ、どこでどうしているのやら。

posted by frugal gambler at 23:50| Comment(0) | TrackBack(1) | My Gamble History | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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